夜中に料理

夜中に料理をしていた。

ぐつぐつとミートソースを煮込んでいるとニンニクの香りと玉ねぎと人参と

トマトと挽き肉とが全部混ざり合ってすごく美味しそうな香りになった。

トマト色の見事な赤が中華鍋いっぱいに広がる。

僕はそれを見ているとつい吸い込まれそうになる錯覚を覚える。

いけないいけない、と思って他のスープに使う玉ネギを切る。

みじん切りにしていたらすごく目にしみて、泣きたいんなら玉ネギを切ればいいと思った。

バターはすぐ焦げる。

だから丁寧に見てやらなきゃいけない。

きっと誰かそばにいる人のことも丁寧に見てやらなきゃいけない。

でも人はすぐには焦げないからつい話を心から聞けなかったりする。

ちゃんと人の話をきかなくちゃ。

明日の為に料理を作るのは希望を明日に用意するという事だ。

味がもっと具材に染み込んで、深くなってるかなとか、美味しく食べてくれるかなとか。

美味しく食べてくれる人の顔を想像する。

それはきっとその人の喜びであり、同時に僕の喜びにもなる。

誰かに何かをすると、きっとその分何かを返してくれる。

それはモノとモノの交換とかじゃなくて、気持ちと気持ちの交換。

例えば気持ちを料理に込めて作れば、おいしい!という表情をくれる。

君が費やしたエネルギーは食材をおいしい料理に変えて、目の前の人の笑顔に変わったわけだ。そしてまた君が受け取る。みんなに栄養たっぷりだ。ナイスだ。

作ったモノを人に食べてもらうときはドキドキする。

美味しいと自分では思うんだけど、相手は自分ではないからね。

でもそれがいいのかな。

自分の感覚で世界が満たされていたらつまらないもん。

自分の感覚で手を伸ばして世界に触れるんだけど、共通感覚もちゃんと持っていないとどれが自分の特別な感じ方なのかもわからなくなっちゃう。

特別に何かを感じる必要なんて本当は無いのかもしれないけど。

みんなと同じように感じて、考えて、暮らして、それでいい気もする。

だけど、どうしてもそれぞれ頑固な場所があったりする。

若い頃は特に。また歳をとると逆に出てきたりするポイントもある。

物事を知って、プライドを持って、正しさを身につけて、だからそうでない事を許せなくなったり。まあ、なにがいいもんですかな。好々爺になるか、頑固な職人じじいになるか。

どうせなら100年先も地面に突き刺さって抜けない様なモノを作りたいとも思うけど、それも遠くから見れば小さな点だ。

でも小さな点が集まってとてつもなく大きなモノができる。

鳥や小魚が群れをなして大きな魚に見せるみたいに。

全ての小さな点が大事だ。

ふつふつとスープも出来上がった。

今日の夕飯はきっと笑顔が溢れる食卓になるはず。

作るとそうゆう楽しみがあるね!!

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