ゲームに思う

「今日は久しぶりに熱い風呂に入りてぇな」

と、いつもシャワーだけの弟が言った。

何度くらい?と聞くと43度と言うからパプワくんだね、と言ったけど反応は何も返ってこなかった(あれ?パプワくんは45度だっけ?)。

代わりに

「風呂掃除をかけてマリカーで勝負だ!!」と言ってきた。

「いや、大乱闘で!!」

「いいのかい?そんな分が悪いゲームで(フッ)」

「いや、マリカーの方が負けそう」

という事で勝負が決まった。

大乱闘スマッシュブラザーズ、3本先取だ。

いざ勝負が始まると一瞬で2本取られた。

こうゆう時にだけ弟の集中力が発揮される。

もう少し日常に集中力を発揮すればいいのに。。

とか思いながらこっちも集中したら2本とって2対2。

最後の勝負、二人ともダメージを受けていたから距離をとっていたら、

ラッキーが卵を産んだ。やったー!と思って取りに行ったら爆弾でボーン!だった。

悔しい。

ゲームとはいえ、対戦ゲームはテンションが上がる。

これを作った人たちは一体何人の暇をつぶしたろうか。

時間にしたら一人の人生1万人分位は時間を過ごさせたんじゃないか。

みんなを盛り上がらせて悔しがらせて笑わせて、仲が良くなったような気さえする。

すごいエンターテイメントだ。

ゲームは子供のお酒みたいなものか。

まあ大人もやるんだけど。

こんなに楽しいものはなかなかやめられない。

過程と結果がすぐに出て、浮き沈みがあって、自分が何かをコントロールできて、やられても体に痛みはないし、また復活できるしね。何回でもやり直せる。

しばらくするとコントローラーから手が離れなくなる。目が画面をぎゅっと見つめる。

ゲームは人間のどこか依存性と快楽中枢(そんなのがあれば)を刺激して僕たちを逆にコントロールしてしまうような、そんな副作用がある気がする。

最初は楽しくてやってるんだけど、段々ずるずるとゲームに引きずられてしまうような、そんな感覚。

面白い小説にも似てるね。

ページをめくる手が止まらない小説。

子どもと遊ぶ時、いかにゲームに勝てる遊びを展開できるか、保育者の腕の見せ所と聞いたことがある。子どもが、持ってるゲーム機をぽいと放り出して遊びに入ってくるような。

だけどこれはなかなか手ごわいよね。

大人がお金と人材と時間と道具を費やして作ったものだからなぁ。

しかしあれは子どもの為に作っているのか、大人の為に作っているのか。

ゲームは誰かの考えたルールの中で遊んでいるもので、子どもが自分たちで考えて遊んでいる遊びは、完全にその子たちの創造だ。

その時やはり子どもの目は輝いていて、友達との役割分担や協調性、社会性を自然に養っていける。3歳の子は何にも道具がなくても、目に見えない道具を持ったり、目に見えない敵が現れたり、突然自分がヒーローに変身したり、足りないものは全部想像力で補っているように見える。

これはすごい事だ。

だけどたくさんの物に囲まれて、想像力の置き場もない環境だとちょっとかわいそうな気もする。ゲームは面白いしコミュニケーションの道具にもなるし、いいんだけど、子どもが遊べる場所がもっとあったら、学校に行けてない子も遠慮せずに遊べる公園とか外の場所がもっとあったらいいのになと思う。てゆうか、子ども社会とか、大人社会とか、家庭とか、そこに居場所がない人達も気軽に集える場所がもっとあったらいいのになと思う。

人との繋がり、良好な人間関係を築けるような場所がもっと必要な気がする。

ある特定の年代の人が1000人集まるのもいいけど、0〜100歳の人が10人ずつ集まってる場所の方が色々と生まれる気がするし、学びも大きい気がする。

でもそれじゃあ幼稚園と学校と社会人とリタイアした方達と老人ホームと全部が入り混じった場所になっちゃうか。一つの村みたいな。

でも今は住み分けがきっちりとされちゃってつまんない感もあるような。

老人はここ、子どもはここ、大人はこっち、みたいな。

ある人にとっては、もしかしたら全然出会わないかもしれないんだよね、別の年代を生きている人に。大きな、閉じた集団がいくつかある、みたいな。

それよりも、円と円が重なった部分が面白い色になる、いい効果を生む、みたいな事にならないかな?

社会が家族を孤立させてしまったんなら、今度は逆に社会が一人一人を混ぜ合わせていく仕組みを作るみたいな。でも社会って何だ?誰だ?

そうゆう事って、もう誰かやってくれてるのかな?

それに、閉じてしまいがちな国民性だと思うんですよね、日本人て。

自分も含めて。

だって鎖国なんてしちゃうくらいだから。部屋のドアをばたっと締めて鍵をかけちゃったわけでしょう?

そうゆう事は個人にももちろん言えると思うんだけど、閉じていくと、悲しいんだよね。

人ってやっぱ一人で心から楽しめるようには出来てないみたいで。

何だろう。

開いて閉じて、開いて閉じて、そうゆう繰り返しがいいかなと思うんだけど、花みたいに。

太陽の光を浴びて開いて、夜には閉じて自分と会話して。

また朝になったら開いて。

誰かを置き去りにして走っていく社会はもうそろそろ終わりにして、立ち止まってる人に声をかけたり、早く走れない人と一緒に走ったり、手を貸したり、話を聞いたり。

そろそろシステム的に、厳しい環境に置かれる人の少なくなるような、みんなが自分の居場所が小さい頃からちゃんとあるような、孤独に苛まれる人の少なくなるような、そんな社会の枠組みを作れないものかな?

この世界の仕組みが生み出す悲劇っていうのがたくさんあると思うんだ。

できる限り最幸に人が生きられる仕組みを誰か考えてくれないかな。

そうしたらもうノーベル賞を全部あげるよ。

もう道具はたくさん揃ってると思うんだけどね。

あとは心の使い方か。

ん〜、誰かお願いします。

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