「時間の箱?」

「時間の箱?」

昨日から今日に来た自分がいるわけですよね。
今日から明日に行く自分もいるわけです。
そして、今日にいる自分。
今、この瞬間にいる自分。

では、2年前の自分はどこにいるんでしょうか。
あるいは、2年前の世界とは、どこにあるんでしょうか?

例えば、止まった時の中に。
2015年の1月14日が全て納まった箱が、ぽんと一つ置いてある。
その時の天気、交わされた言葉、交わされなかった言葉、描いた絵、飛んでる鳥、死んだ人、生まれた人間、全ての事が時間の中で。
ほとんど、無限に近い情報がその箱の中に入っている。

その箱の中身は、その前の箱の中身の更新版なわけです。
引き継いだ物もあるし、途絶えてしまったものもある。
ですけど、当時の最先端ですよね。
だって、今は時の最先端なわけですから。

その、今から見れば過去で、その時より前から見れば未来で、その時には現在だったその箱は、
今も何処かにあるのかな?ってことです、疑問は。
もう、自分から過ぎ去ってしまった時間は、一体何処に行ってしまって、どうしてるんだろう、と。

同時に、別の世界が存在するとかも言いますよね。
実はいくつもいくつも別の宇宙があって、別の未来を辿っている人類があるとか。
でもその人たちにも時間は流れていて、前へ前へ押し出されてしまうわけです、時間というものに。
現実的な時間の上では、誰も未来に生きたり、過去に生きたりなんて出来ませんよね。
ですけどちょっと思い出して見て下さい。
心の中でなら、人は過去を保有していて、当時の気持ちとか、情景を思い出す事も出来るんではないでしょうか?

ある時ふっと昔の事を思い出したり、似たような景色や状況になると、あの時はああだったなぁとか思う事ってありますよね。
その時、人って、例えば1995年の3月12日の何時何分の自分の状況、とか気持ち、環境、とかにアクセスしてるんじゃないですかね?
それか、印象に残った思い出だったから、記憶の引き出しからすぐ引っ張り出してしまう、とか。
心の中でならやはり生きてる部分もあるわけです。

でも、直接的に知らない、ずっとずっと昔の歴史の場合はどうでしょうか?
その場合には、現在に残されたり、発掘された資料を基に知ったり、こうだったのかなぁ、と想像してるわけです。
そういった資料や言葉なんかは、その時代、その場所にアクセスできる手がかりになるわけですよね。
存在していた、時間。文明、人々へ。
残っている手がかりはほんの僅かかも知れませんが。

完全に消滅してしまっているのではないかもしれませんよね。
もしかしたらその箱はどこかで完全な形で残っているけれど、現在から辿れるアクセス路は少しだけ、という事かしれません。
わかんないですけど、未来の箱だって、実はどこかで顔を覗かせてるかも、ですよね。

まあ普通に考えて、現在は過去の上に成り立っていて、未来とも繋がっていますよね。
ぽんと、いきなり現代の便利な生活とか、けっこう来るとこまで来てる感のある現在があるわけではないですよね。
やっぱり生きてると、未来の箱はどうなってるかなぁ、とかたまには思うわけです。
出来れば、善い方に転がってくれているといいなぁ、と。
でも、そんな人類全体の事を思うには、自分はあまりに無力な存在だなぁ、とかも思うわけです。
(てゆうか、今日は何でこんな事考え始めちゃったんだろ。昨日は星が綺麗だったからかなぁ。。)

というより、一体どこに向かってるんですかね。
もし、人類全体の理想とかがあって、それが世界中の人たちに心から共有されるようになれば、
もしかしたらここは天国みたいな所になるかも知れないですよね。
夢のまた夢みたいな、ナンセンスな話かも知れませんが。

でも、あとちょっとだけみんな優しくなれれば、だいぶ違うと思うんだけどなぁ。

2017年1月14日の箱の中の人は、そんな願いを持っていましたとさ。

おしまい

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