体の痛み、心の痛み

体がどこかにぶつかった時の鈍い痛み。

虫歯で歯がしくしく痛む時の嫌な感じ。治療の時の麻酔、削る痛み。
スポーツで怪我をした時。
蜂や虫に刺された時。
物を食べてたら、誤って舌を噛んでしまった時。
色んな場面で、私たちは痛みを感じますよね。
それは体が、私たちを守るために、痛みを信号として送ってるんですよね。
もし痛みを感じないと、熱いストーブの上などに手を置いてしまっているのに気が付かないで大やけどしてしまうとか、
体に異常が起きてるのにそのまま過ごしてしまう、という事になりかねませんよね。
痛みは、ブレーキの役割を果たしてくれてるって事でしょうか。
体に異変が起きてるよ!危ないよ!と警告してくれてるわけです。
ほとんどの方は、痛いのは嫌ですよね?
少しなら大丈夫だけど、あんまり痛いのはちょっと‥という方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
痛みには大きさがあります。
その怪我の程度に応じて痛みの大小などが変わってくるわけです。
皆さん経験があると思うんですけど、痛みが大きければ大きいほど緊急事態ですよね。
ちゃんと、正確な情報を体が伝えているわけです。
これはいけない、ひどい怪我だっていうのを。
骨折してるかもしれないのに、擦り傷と同じ程度の痛みの大きさじゃまずいですもんね。
ごくまれに、痛みを感じない病気の方がいらっしゃるそうです。
その方はやはり自分の知らない所で大怪我をしてしまったりするそうです。
痛みを感じられるっていうのは、自分の体を守るために必要な事なんですね。

一方、心の痛みについてはどうでしょうか?
どんな働きをしてくれるのでしょうか?

例えばここに、ちいさな子どもが泣いているとします。
悲しい事があったみたいです。
心は痛んでいます。
悲しんで、涙を流しています。
痛みは、子どもに涙を流させました。
涙は、子どもの心を少し落ち着かせ(あるいは、より一層悲しい気分にさせ)、周囲の人間に心が傷ついている事を教えました。
そのうちに、きっと誰かがやって来て慰めてくれるでしょう。
「どうしたの?」
「何かあった?大丈夫?」
と声をかけてくれる人がきっといるはずです。

転んじゃったのかもしれないし、友達とけんかしたのかもしれないし、行きたくない習い事が後で待っているのかもしれません。
転んで痛いのは体だけじゃないですもんね。
友達とも本当は仲良くしたいのに、けんかしちゃって心がしょんぼり。
やりたくない事が待ってるから、心が不安で仕方ない。
ズキズキとか、ザワザワ、ぎゅーっと、心がゆれる。
涙を流す程、心が痛かったんです。
でももう大丈夫。
話を聞いて、ぎゅっと抱きしめてくれる人がそばに来てくれます。
子どもの心は落ち着いて、また元気を取り戻す事でしょう。

だけどもし、心に痛みが生じなかったらどうなるでしょう?

自分が悲しんでるのもわからないし、周囲の人もきっとわからないでしょう。
それに、誰か自分以外の人の、相手の心の痛みもわからなくなってしまうんじゃないでしょうか?
何を言われても、何をされても大丈夫。
だから相手にもしたって大丈夫。
‥そんな事ってないですよね。
言葉に傷ついたり、逆に言葉で傷つけてしまう事もある。
でも、心も体と同じで、傷を癒やす力を持ってますよね?
時間や、人の温もり、言葉で手を触れて。
言葉は、心に手を触れられる道具な気がします。
そっと包むような言葉。
暴力的な言葉。
色々な言葉がありますよね。
言葉には人間の感情が詰まっていると思います。
だからこそ、大切に使わないといけないんじゃないかと。

それに、心に痛みを持っているという事は、相手の心の痛みもわかるという事につながるのではないでしょうか。
あまり感傷的になってもよくないかなと思いますけど、どんなニュースを見ても心が痛まない、その向こうにいる人達の姿を、
置かれた環境や心を想像する事もしなくなるような免疫はつけたくないと思います。
ぱさぱさと乾いた心は、他者の痛みに無関心になってしまう気がして。
でも、痛みに慣れないといけないこの空気は、どこか寂しい気もします。
どこか綺麗な山の上で、大きく息を吸いたいですよね。

書いていたら、そんな気分になった今日でした。

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