体がめきめきと軋(きし)んで音を立てる。
何か力を入れようとするけど指にうまく力が入ってくれない。指を組んで反らせて、バキバキと音を立てるとまた指に力が入る様になる。
首の骨をばきっと鳴らすとスッキリする。足にだるさが残って気持ち悪い。
どれも老化現象だよ。
おじいさんになるのは素敵なことだと思うが、体がしんどくなるのは嫌だな。おじいさんになるにはまずおじさんを通らないとなれないし。体の手入れをちゃんとしないときついですなこりゃ。
ストレッチをして、体に深呼吸をさせてあげないと血が巡りにくくなっていけないよ。寝てる時にも冷えた状態で寝ていると丸まっちゃって、その体勢のままでいると肋骨がいつの間にか内側にめり込む様な形になっちゃって呼吸が浅くなるらしいよ。冷え性の人は湯船から足先を出して風呂に入ると冷えが足先から抜けていくらしいよ。
自分の体の状態を、体の声を伝えてくれてもなかなか頭は適切に対応してくれないんだよなぁ。体はセンサーみたいになってるのにね。
僕の頭は僕の手より多くのことを知っているだろうか?
しかし、おじいさんになるには大変な時間と経験が必要なんだな。
おじいさんはおじさんの後に来て、おじさんはパパとかお兄さんの後に来て、お兄さんは少年の後に来て、少年は幼児の後に来て、幼児は乳児の後に来て、乳児は新生児とか胎児の後に来て、胎児は生命の種から誕生して、生命の種は成人の体に宿されてる。
しかし、一体どこが始まりなのか?無限のループの中で僕らは始まりも知らないまま、終わりも知り得ない。全く、わからないことだ。土台がわからないことで出来ているのに、何かをわかりたいと思うんだ。何を持って生きていることを良しとするのか。
僕らは時間の中に存在している。
物体であり、非物質的な心というものを持ち、互いに共有する抽象的な概念、言葉をもち、一人一人の経験や技術や人生や物語を他の人間、次の世代へと継承していく事で繋がりを保ってきた。
食べて、寝て、子供を育て、与えられた本能に基づいた行動を全うする事で全体としては種を保ってきた。気の遠くなる程の時間を積み重ねて来たわけだ。全ての人間が地球上で過ごした時間を合算すると時間はパンクしないのかな。
でも、一人の人間が経験できる生は一人の人間にしか与えられていないから、別に誰かの分までその時間や経験をするわけではないから、気が遠くなっているのは神様だけかもしれない。
神様は一人一人の人間の内に存在するというけれど、それならばその分大変な思いもみんなしているわけだ。
歴史を眺めてみると想像もつかない昔に人たちが暮らして、考えたり、行動したり、嘆いたり、喜んだり、間違ったり、正しいことをしたりしてきたわけだけども、本当に今の僕らと同じ様に目に映る景色にはちゃんと色があって、日々悩んだり笑いあったりして暮らしていたのかと疑問に思う時もある。
しかし大昔の地球にかかった虹は巨大で、端から端まで見えて、圧倒されるくらい綺麗だったんだろうなぁ。
ドラえもんのタイムマシンがあったらiphoneを持って大昔の世界に行ってビデオと写真を撮りまくって帰ってきたいものだよ。そしたらその人はどこからどう見ても宇宙人だろうなぁ。充電が切れておしまいか。。
たまに、未来からやってきた様な人が僕らの中に混じっている時ってあるよね。
歴史をちゃんと知って、その時と場所に生きていた一人の人の見ていた景色や心の模様をちゃんと想像できる人になりたいものだ。