春みたいな陽気の中でまどろんでいた

人生って過程しかないじゃないですか。
結果を見るのなら、そこには死しかないわけで、生きた証みたいなものも、当人にはもうわからない。
途中結果までしか見れない。
今生きてる中身が大事なんでしょう?
ある子供がいて、その子が将来すごい人になる、その未来の姿が大事なんではなくて、
今この瞬間の、その子が大事なんですよね、きっと。

でも、なかなかそういう事忘れちゃうんですよね。
なんだかいつまでも生きていられるような気がして。
仮に、一人の人間には一つの粘土の塊しか与えられていないとします。
ある人はそれをぎゅっと固めてドカンと何かにぶつけて使いました。
またある人はうすーく丁寧に伸ばして、細く長く作り変えました。
でももう一人の人はもう何にもせずに、朝目覚める意味すらわからずに、いろんな事をほっておいて、
いろんな風に混乱して、カラスに自分の粘土をつつかれてしまっているのにも気がつかないで、
ただ時間が過ぎていくのを眺めている。
昨日には戻れないし、明日にはうまく行けない。
今日には名前がない。
どこに行けばいいのか精神的に迷子になってしまっている。
でもそんなの当たり前か。
どこに行けばいいのか、何をすればいいのかわかってる人なんて稀だから。
きっとその人には生まれた時から心の中にコンパスが付いていて、どっちに歩いて行けばいいか何となくわかったんだ。
それは虹の上を歩いた男だ。
僅かな時間で消えてしまう光に乗れた人の話だ。
多くの人は特別じゃない人生の中にいる。
たくさんの人に注目される必要もないし、何か、歴史に残るような仕事をするわけでもない。
毎日雲の形をスケッチするみたいな、もう飽き飽きして、それでも何だか今日も空を見上げてしまう様な、そんな大層じゃない物語だ。
特別な事はほとんど起こらない。
でも特別なんだ。
その人にしか見えない景色の中で、その人にしか出来ない感じ方で物事を受け止めている。
僕たちが他の誰かになれた事なんてない。
ただそんな振りをするだけだ。

今日はあくびが止まんなくて、なんだか暖かい
春みたいな陽気の中でまどろんでいた。

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